資料NO. :  9-03-02
資料名  : 
                 ちば・いちはら巻頭('03年7月)
            − 悪法「有事三法」の「成立」に −
国境を越えた民衆の声で 私たちの未来を変えていこう!
         あきらめず、希望を持って!
制作者  : Ms.K.T.(ちば・いちはら連絡会)
制作日  : 2003/7/1
6月6日(金)、平和憲法を戴く日本にとって、その根幹をゆるがす悪法「有事三法」が参議院で賛成多数で通過し、制度化されてしまった。廃案を目指して、集会に、デモに、国会請願の署名集めなどに参加してきた私たちには、怒りと悔しさと無力感を味わされた出来事であった。
 歴代の自民党政権のもと、日本の政治は右寄りの舵取りを行なってきたが、その傾向がなりふり構わずむき出しになってきたのが、1999年の小渕内閣の時であった。自自公の多数派工作により、新ガイドライン関連法案、通信傍受法、国旗国歌法等が次々に可決された。以後、教育改革関連6法、破防法、組対法が成立、労働法や住民訴訟法改悪とつづき、国が行うであろう戦争に住民の動員を可能にさせる為に、集会の自由、言論の自由、内心の自由を制限する法制度が矢継ぎ早に制定された。そしてこの流れの仕上げの第一歩が「有事三法」の成立なのである。

 「攻められたら守らなくてはならない」「備えあれば憂い無し」という詭弁

 戦争は天災とは異なり、ある日突然何の前触れもなく起るものではない。 国際間の問題は、ねばり強い外交交渉を重ねて平和的に解決すると言うのが二回の大戦を経験した諸国が到達した結論であり、我が国の平和憲法である。
 ところが、「拉致問題」や過激なまでのメディアによる「北朝鮮脅威論」をかざして、民衆に恐怖心を植え付け、「有事法制」の必要性が説かれている。
(これは大量破壊兵器の脅威をあおってイラク侵略戦争を行ったブッシュ政権の手法と全く同じである。)しかし、一歩譲って、朝鮮民主主義人民共和国(以降「北朝鮮」と略す)が実際に日本に攻撃を仕掛けることがあるとしたら、それは北朝鮮が追い詰められて自爆行為に走るときであろう。 つまり、アメリカによる北朝鮮への武力攻撃が始められ、日本がこれに加担して有事法制を発動したときである。すなわち、「有事法制」の備えそのものが、戦争の引き金となり、憂いのもととなるのである。

 軍隊は庶民を守らない

 15年戦争末期の沖縄戦で日本軍は何を行ったか思い出してほしい。 自分たちの命を守るために、ガマに避難していた民衆を追い出し、泣き声を上げる赤ん坊を殺すことさえ行った。 本土に上陸作戦が行われて天皇に身の危険が迫ることがないように、できるだけ長く敵を沖縄に引き付けておいた結果が、沖縄住民の死傷者が莫大な数に上った。 中国では関東軍が開拓民を置き去りにして逃げたと言う事実は、現在も中国から肉親を求めて日本を訪れる「残留孤児」によって生々しく記憶によみがえってくる。
 ある自衛隊幹部の発言も示しているように、「自衛隊は国民を守るためにある、と考えるのは間違っている」ことは明白である(朝日5/16)。 自衛隊が守る「國」とは、天皇をはじめとする一部のエリートのことなのであるから。

 武力で平和は創れない

 この真実は世界中で行われてきた戦争の歴史を見れば明らかなことである。
一番身近な米英によるイラク侵略戦争の結果もこれを雄弁に物語っている。 ブッシュはこの戦争の大義を「大量破壊兵器の拡散を防ぐ」から「イラクの民衆に自由と民主主義をもたらす」ためへとすりかえたが、現在イラク民衆が味わっているのは、愛する人々を失い、傷つけられ、家を失い、ひどい環境汚染の中で生きなければならない悲しみや苦しみであり、同時に加害者に対する憎しみである。 「平和」とは、すべての人々が安心して希望をもって生きることと定義するなら、イラクに平和が訪れるのはどれだけ先のことか。

 私たちがしなければならないこと

 このような悪法が成立した今、私たちは何をすればいいのか? 
答えはこの法律が発動されないよう声をあげていくことである。「拉致問題」を声高に叫び好戦的な発言を繰り返す団体、北朝鮮問題をこれでもかと報道するメディア、私たちはこのような情報操作を冷静に分析し、発言し続けなければならない
北朝鮮も含めてあらゆる国の民衆の苦しみに対して、鋭い想像力と感受性を養いたい
 現在国会では会期を40日間延長して、「イラク特措法」を成立させ、米軍のために武器、弾薬、兵隊などの輸送を行うために自衛隊派兵を行おうとしている。これにも反対の声をあげよう。大義なき米英のイラク侵略戦争への積極的支持を行うことになるのだから。
 現在日本政府の目指している方向は、明らかに40年代の方向に似通っていることは確かだ。 しかし、全く違う点がある。 それは、国境を超えた民衆の声である。 運動である。この力で、私たちの未来を変えていこうではないか。あきらめないで。希望をもって。

掲載:2003/08/20